クラスメイト〜What shall we do now?〜(2)



いつもと同じ朝。同じ空間。
それなのに、ただ一つの区切りがあるだけでどうもこうして空気が変わるというのだろう。


リノアは目覚まし時計よりも10分早く目覚めた。
外はまだ薄暗さが残るものの、前日のTVニュースが伝えていたように快晴になりそうだった。
直接窓の外を覗いていなくとも、大体の雰囲気でわかる。


夜具の中で大きく伸びをしてから起き上がり、着慣れた制服に着替える。この制服を着るのも今日で最後だ。
顔を洗うのと、朝食を摂る為に階下に下りた。両親は既に食卓についており、
リノアの分のクロワッサンとスクランブルドエッグ、そして生ハムは白い皿に取り分けられていた。
部屋の中には煎れたてのコーヒーの香りが漂う。


「おはよ…………。」
「おはよう、リノア。」

眠そうにリビングに入ってくるリノアを見て、長い髪を一つに束ねながら、母親が笑顔で朝の挨拶をした。

「昨日はよく眠れたか?今日はいよいよ卒業式だな。」

父親がコーヒーをすすり、新聞に目を通しながらこちらに話しかけてくる。
でかける直前まではノータイでくつろぐ。これもいつもの光景だ。

「ごめんなさいね、せっかくあなたの卒業式なのに、出る事ができなくて…………。」

母親は申し訳なさそうにつぶやいた。
両親が共働きのため、揃って休みを取得するのが中々難しいらしい。
ただでさえ決算時期と重なり、人手が足りなくて困っている状態だそうだ。

「大丈夫だよ。そもそもこんな平日に卒業式やるなんて、うちの学校もどうかしてるよね。誰も来てくれるわけないのに。」

そう言ってその場の雰囲気を和ませる。リノアのその言葉に両親は言葉に出さずともどこか安心したようだ。
実際、友人たちでも保護者が出席する者の方が少なかった。

小中学生ならともかく、もう18にもなる多感な年頃だ。
式が終わって開放感溢れることになれば、そのまま皆でどこかに繰り出すほうが楽しいに決まっている。
中には記念撮影に明け暮れたり、友人との語らいが名残惜しかったり。
部活動をやっている者ならば、後輩たちの見送りや送別会もあることだろう。


「さぁ、早く食べないと冷めちゃうわよ。」
「あ、そうだね。いただきます!」


促されるまま、コーヒーを一口すすった。
コーヒーと言ってもリノアはまだ苦いと感じているので、ミルクたっぷりの”カフェオレ”状態だ。
砂糖も2杯、入れることを忘れない。

リノアが席について早々、母親がいそいそと自分の分の片づけを始めだした。
そろそろお互いの出勤時間が近づいてきたらしい。


「………そういえば。」

カウンター越しに、思い出したかのように母親がリノアに話しかけてきた。
シンクで皿洗いをする手は止めないままだ。

「あなた最近、よく男の子と一緒に帰っているそうじゃないの?」

思ってもいなかった言葉に、リノアは思わずカップ片手にむせそうになった。

「ええええ?な、なんで?なんでいきなり………!?」

あからさまに動揺を隠せないでいると、今度は父親が食いついてきた。

「………ほう。そうなのか。」
「そうなのよ、私が直接見たわけじゃないんですけどね。ほら、その角のアパートの管理人さん。
あの人が何回かリノアをここまで送ってくる男の子を見かけたんですって。」
「なるほど。………で、相手はクラスの子か?もう付き合っているのか?」
「ちちちちち!違うよ!お父さん!!そんなんじゃないって!!!」

顔から火が吹き出るかと思うくらい、顔を真っ赤にして否定するリノア。
鼓動が半端なく早くなると共に、全身から汗が吹き出そうだった。

そんなリノアを見て、父親は少し眉を寄せる。
内心父親にとって娘の色恋沙汰など面白くはないだろうが、それでも初めて出てきた浮いた話だ。

実際、親の贔屓目でみてもリノアの容姿は決して悪くは無かった。
ただ、本人にその気がないのか隠しているだけかはわからないが、
これといって特定の誰かを気にしたり、付き合ったり、という素振りは一向に見られないまま
高校を卒業してしまうというのは、それはそれでどうかと心配していたところではある。
年頃の子供を持つ親なら、誰もが通る悩み事といった所だろうか。


父親は新聞を折りたたみ、それを脇に置いてあったペーパーラックに無造作に放り込む。
立ち上がりながら椅子の背もたれにかけてあったベージュのジャケットを羽織り、子犬柄のネクタイを結わう。
そして、さも動揺を隠すかのようにリノアに言った。

「……もし、そうでないにしても。いい人がいたら、一度連れて来なさい。」
「そうね、お茶くらいは飲んでいってもらわないと。せっかく送ってくだすったのに、悪いわよ。」

母親はくすくすと笑いながら、洗い物が終わったのだろう、蛇口をひねる音がして、丁寧に手の水気をタオルで拭き取っていた。
リノアはクロワッサンをかじりながら、小さくため息をついてつぶやいた。

「もう。そんなんじゃないのに―――――――。」










高校生活の締めくくり。
思えば色んな事があった3年間だった。

これからどんな生活が待っているんだろう。
期待に胸を膨らませて、真新しい制服に袖を通したのがもう3年も前のこと。


――――それなりに、気になる人もいた。それはミーハーからくるものだったのか、
それとも、恋愛を知らない、恋に恋する少女を演じたかっただけなのか。
リノアには言い寄ってくる男子生徒も何人かいるにはいた。その都度、興味がないからといって断ってきた。
好きだから付き合う。そんなことは頭にはなかったのかもしれない。
女の子同士で一緒に色々お喋りしたり遊んだりするほうが、彼女にとっては楽しい学生生活だった………それなのに。


この一年間は本当にめまぐるしく、早く過ぎていったと思う。
今こうして抱えている気持ちが”好き”じゃないとしたなら、一体どうやってこの渦巻いた感情を表現すると言うのだろう。


(やっとわかった。わたし、やっぱりスコールのことが”好き”なんだ…………。)


気づくのが遅すぎたのかもしれない。もうこの先会える保証はないというのに。
こんなに切なく、苦しい想いをするのなら、いっそメールのやりとりなんてしなければよかった。





壇上には重厚な台が据えられ、その後ろの暗幕に掲げられた国旗と校章幕。
講堂に卒業生、在校生、教員、PTA役員が揃う中、校歌が斉唱される。
響き渡る歌声と、メロディを聞いていると、色んな思い出が頭の中を駆け巡り、リノアは思わず鼻をすする。
気づけば、そこかしこですすり泣く声も聞こえてきた。
高校の卒業式なんて、泣くことはないと思っていたけれど、いよいよ最後の日なんだ、と思うと厳粛な気持ちになってくる。



式は滞りなく終了した。
卒業生はそのまま退場し、各教室へ移動となる。担任の最後の大仕事、挨拶とアルバムの手渡しが待っている。
ざわめく室内に、慌しく担任と副担任が一緒に大きな荷物を抱えてやってきた。
箱の中いっぱいに、黒い筒が見える。そして、重たそうに運ばれてきたものは、皆が―――そして委員が一番出来を楽しみにしていた卒業アルバムだ。

担任は一人ひとりの名前を読み上げ、通信簿を渡す。がっちりと握手をし、一声かけてゆく。
リノアには「卒業おめでとう。そして委員会ご苦労だったな。」という言葉と共に手渡された。
スコールになんて言って渡したんだろう。そこまでは聞こえなかったが、正直それどころではなかった。

わくわくする気持ちを抑えて、リノアは席に着く。
若草色のハードカバーで施された30センチ四方のアルバムには、みんなの思い出の一ページが、ぎっしりと詰まっていた。
…………まだ担任に呼ばれていない生徒が半数近くいる。
今少しだけ、あのページを見てみようと、リノアは端に手を掛けてゆっくりとページを開く。真新しい匂いが鼻をくすぐる。


アルバムのほぼ最後のページに、委員の集合写真が収められていた。写真の下には組と氏名が並び順に印刷されている。
クラス順で、男女交互に並んで撮影されるため、リノアとスコールは自然と隣同士で映っていた。

リノアは身長が163センチある。女子の中では決して低いほうではない。
それでも隣に並ぶスコールは、そのリノアの身長よりも頭一つ分、高かった。
ヒールを履いて並んでも、見栄えするかな………なんて、ありもしない想像をして少し顔の表情が緩む。

ぎこちない笑顔を見せるリノアに対し、スコールは相変わらず無表情で。でも、写真の中からでもその瞳に射すくめられそうなほどだった。
まともに写真を見ることが出来ない。本人がすぐそこにいるというのに。
それでもいざ二人でいたらそこまで長く見つめる事ができるだろうか。
リノアにとって、自分の気持ちを自覚してしまった今となっては、それは難しい事かもしれなかった。


「静かに!」


担任の大きな声が響き渡る。生徒たちは一斉に前を見た。
一通り教室中を見渡した後、微かに声を震わせながらこの年度最後の教鞭を振るう。


「………高校生活は今日で最後だが、今までに出会ってきた人たち、経験した事、感じ取ってきた事、全てはお前たちの財産となる。
学校で習う事はほんの一部だ。しかし、勉学とは生涯にわたってついてまわるもの、一生ものだ。
無駄に過ごしてきたように見えて、実はそうではないと言う事を胸に、明日からまたそれぞれの新しい人生を切り開いていってもらいたい。卒業おめでとう。解散!」


あっさりと終わった終了の声。それと共に、クラス中で別れを惜しむ声が上がり、記念撮影タイムへと突入した。

ざわめきの中、リノアがその余韻に浸っていると机の角を誰かが指でたたいた。
気づいて見上げると、スコールがカバンを小脇に抱え、卒業証書とアルバムが入った袋を持って立っていた。

「あ………。」

顎を外に向ける仕草。どうやら、いつも帰る時に出る裏門を示唆しているようだった。

「………先に行って、待ってる。」

そう言い残すと、さっさと教室から出て行ってしまった。

「ま、待って………っ。」
「リーノアっっ!!」

慌てて荷物を持って立ち上がろうとするリノアの背後から、友人たちが覆いかぶさってくる。
ニヤニヤしながらリノアの顔を覗きこむ。異様に赤くなった頬を見て、何を思ったのだろうか。

この後、友人たちによって色々詮索・尋問にかかったのだが、何とかそれらをかわして裏門に着いたのは解散から30分経ったころだった。
息を切らしてたどり着くと、門から少し離れた角の塀にもたれかかって立っているスコールを見つけた。
相変わらず長身で端正な顔立ち。周りの行きかう人たちの視線は自然とスコールへと向けられる。
本人はそれらの視線にまったく興味がないかのように、ただ一点を見つめて微動だにしなかった。

太陽が真南から少し西に移動したころだ。気温がぐんぐん上がり続け、制服のジャケットを脱ぎたくなるほどの晴れ模様。
それなのにスコールは涼しげな表情を崩さない。リノアは軽く汗ばむ額を拭いながら、スコールの元に駆け寄った。

「お待たせ!ごめんね、つかまっちゃって……。」
「いや、いいんだ。俺が勝手に誘っただけだから。」

”誘った”という言葉に今更ながらにドキッとする。それはスコールの事が”好き”だから。
でも、スコールはわたしのことをどう思ってそうしてるんだろう?送ってくれてるんだろう?
色んな疑問が頭の中に渦巻いたまま、いつも通りの家路をたどる。

「……卒業、しちゃったね。」
「ああ。もう高校生じゃなくなるんだな。」

必死で言葉をひねり出そうとしても、うまく言葉が出てこない。意識すればするほど、へんな事を口走っちゃいそうで。
二人無言のまま、いつの間にかリノアの家の近くまで来てしまった。
ここでさよならをすれば、もう二人を繋ぐ接点がなくなってしまう。
このまま、何もないまま、別れがたかった。でもリノアにはどうする勇気もない。
以前はメールを送るのだってすごく勇気が要ったのだ。それ以上のことを言える勇気が、まだリノアにはなかった。


「あ、あのね…………。」
門扉に手を掛け、リノアは少し伏し目がちに声を絞り出す。かすれた声が、スコールにも伝わったようだ。


その途端、目の前に小さな長方形の紙が差し出された。思わずリノアはスコールの手元を見やる。
それは、既に話題となっている映画の先行放映のチケットだった。
日付は明日。リノアの誕生日となっている。


「もし、あんたが迷惑じゃなければ。明日一緒に観に行こう。」
「えっ?ど、どうして………?」
「あんた、誕生日なんだろ?」


リノアはあまりのサプライズに身動きが取れなかった。
スコールに自分の誕生日を言った覚えは一つもない。なぜ彼は自分の生まれた日を知っているのだろう。

あまりに突然の出来事で、なぜ、どうして、という言葉で頭がいっぱいなのに、それを問うことが出来ない。
まるで水を失った魚のように、リノアは口をパクパクさせていた。
その仕草を見て、らしくないことをしてしまったとでも言うように少し慌てるスコール。


「偶然チケットが手に入ったんだ。そう、偶然だ。フイにするのももったいないしな。」
「偶然………?」


その言葉や仕草に、単なる友達としての付き合い、という意味が見え隠れしないでもない、とリノアは思った。


「そっか、そうだよね………。」
「リノア?」
「ありがとう。受け取っておくね。今日はもう疲れちゃった。また、明日……でいいんだよ、ね?」


そう言ってリノアはスコールに振り返ることもなく家の中へと入っていった。
ドアを背に、鍵を閉める。その瞬間、言いようのない感情があふれ出し、涙が零れ落ちた。
リノアは、カバンが落ちるのも気にせずに、そのまま玄関で泣き崩れる。
どうしようもなく、止められないこの想いに気づいてしまった今、こんなはっきりしない関係は嫌だ………。


スコール。
なんでそんな日にわたしを誘うの?思わせぶりな態度をとっておいて、何もないなら放っておいて。



誰もいない家の中は、外界とは違い、薄暗くひんやりとしていた―――――。





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