一人じゃないから




柔らかい風が頬を撫でて吹き抜けていく。
季節はいつの間にか厳しい冷たさを通り越して、草花が一斉に芽吹く暖かさへと移り変わっていた。


バラムガーデンの中庭でも色とりどりの花が咲き誇り、丁寧に手入れがなされている模様が見てとれる。
校舎に沿った一際大きな花壇は、左から順にカラーグラデーションになるように、上手い具合に苗の配置がされていたのだろう、
一つ一つ小さく咲いた花弁たちはとても豪華に人目を引いていた。
花の上には軽やかにモンシロチョウが飛び交っている。見まごうことなく春がやってきたと実感できる場所の一つである。



寒の戻りも過ぎた、とある晴天の昼日中。
その中庭のベンチに腰掛けて一人、下を向いて黙々と作業をしているリノアの姿があった。
そよぐ黒髪を片耳にかけながら口を軽く開けている姿は、傍から見れば一生懸命物事に集中している年少クラスの子供さながらだ。

周りからの雑念を振り払うかのように、小さな長方形の冊子の1ページに丁寧に、何かを貼り付けている。

左上の片隅には鞠のような模様が描かれた、ピンク色の可愛らしいシールをまばらに。
反対側の隅には、同じ形の葉のシールを何枚もずらして貼っている。それらは風に舞っているようにも見えた。

水彩ペンで書かれた細かい字がぎっしりと並ぶ。その一番初めに書かれていた文字は―――”シュウさんへ”





この春、ガーデンを卒業するSeeDは約30名。
そのほとんどは規定である20歳に満たないうちに企業へ就いたり、また各国の軍関係の施設などに配属が決まっていた。

キスティスと同じく、早くから正SeeDとなったシュウも例外ではなく、いつかはここを出て行かなくてはならない。
彼女は様々な機関からオファーが来るほど優秀なSeeDであるのは間違いなかったが、誰もがこのガーデンで教員職に就くものだと信じて疑わなかった。
シド学園長もきっとそのつもりでいただろう。


しかし、シュウが選んだ道は、このバラムではなく極寒の地トラビアであった。


先の戦争で、ガルバディア軍からミサイル襲撃を受けたトラビアガーデンの復旧作業は急ピッチで進んでいた。
命からがら逃げ延びた在籍生も、元通りまではいかなくても、新入生も併せるとそれなりの規模まで集まったが、肝心のサポート側の人手が足りなかった。
教職員は各ガーデンの卒業生でも充分事は足りる。ただ、それを束ねるだけの手腕を持った人材がいなかった。
トラビアガーデンで学園長に近い職責を担うということ、すなわちガーデンを統べるということはとてつもない重責なのだ。

SeeDを育てるという目的では各ガーデン同じだが、今となっては世界に名の知れた大規模な傭兵育成校であり、
そのような組織を動かすだけの人物となるとそれなりの経験がものを言う。
本来であればガーデン外部から招聘するのが筋であろうが、トラビア側からかなりの反対がおきたらしい。
そこへバラムでも評判の高いシュウを就任させることが決まり、何とか事態を収拾することができた次第だった。



なぜ彼女に白羽の矢が立ったのか、彼女と各ガーデンとの間にどういったいきさつでやり取りがなされたのかはリノアにとって知る由もなかったが、
外部からやってきた挙句ガーデンで保護される立場になってしまった自分を、妹のように扱ってくれたシュウがこのガーデンを離れると知ったとき、
居てもたってもいられなくなって、涙ながらに彼女の部屋に乗り込んだのはもうふた月も前のことだ。






作業の手が止まった。軽く空を仰ぐ。一気に目に入り込んできた日の光が眩しくて思わず目を細める。
ため息を一つつき、まばたきを2、3回繰り返す。肩を上げ下げしながら凝りをほぐすようにしてつぶやいた。

「・・・・・・よし!こんなもんかな?」

リノアは今しがた終わった自分の分担ページをもう一度確認し、うん、と軽く頷くと冊子をそっと閉じた。
赤い和紙のような表紙には、セルフィが色紙で器用に切り貼りしたシュウの似顔絵があった。


リノアとセルフィが中心となって、今まで彼女にお世話になったお礼も兼ねて親しい人間だけで寄せ書きをしようと提案をすると、
バラムでは今まで無かった習慣だっただけに、最初は物珍しさもあってみんなどうしていいかわからなかったみたいだ。

『要は、”今までありがとう”とか”お疲れ様”とか”頑張ってね”とか。そんな言葉でいいんだよ。
 シュウ先輩にそれぞれが思うメッセージを書けばいいの!その気持ちが大事なんだよ〜。』

冊子を手にして首をかしげる仲間を前に、セルフィは活き活きと説明をする。

ほんの一言の気持ち。言葉にすると照れくさい事だって、文字にすると素直に届くかもしれない。そしてそれは記憶として残っていく。
リノアも、ガーデン生ではないが色々と彼女にはよくしてもらった。不器用ではあってもこの感謝の気持ちを伝えたい一心で内密に事を進めていた。

自分の役割が終わった安堵感からか、リノアの脳裏にようやくとある人物のシルエットが浮かび上がった。


「残るはスコールだけだね・・・・・・。」


軽く口を尖らせて、どうしよう、と言いたげな困った顔をリノアは浮かべた。
冊子の一番最後のページはまだ真っ白いままである。いわずもがなスコールの分だった。

最近は忙しい毎日が続き、ろくに一緒に居られる時間さえない。そんな司令官サマを運よく捕まえて手元にある冊子を渡せたとしても、
無愛想な彼のことだ、きっと一言だけ書いて寄越すに違いない。女子のように色々と書き込まなくてもいいけれど、
せめてスコールの言葉で、シュウへのちゃんとした送別の言葉を書いて欲しいのだ。
今から気を揉むくらいには、スコールの行動はリノアにもわかってきたつもりだった。


リノアは膝の上にある寄せ書きの、さらに上に両手を重ねて置くと、ベンチの背にもたれかかって両脚を交互にぷらぷらと揺らす。
さっきまではあまり気にも留めなかった風をより身近に感じたくて、静かに瞼を閉じる。
ガーデンの中から僅かに聞こえる雑音さえも気にならないかのように、体の力を抜いて身も心も自然に委ねる。

時折風になびかれた梢がざわざわと揺らぎ、空遠くに飛ぶジェット機のエンジン音が微かに耳に届く。

気持ちはとても凪いでいた。
平和―――誰もがそう思えない世の中ではあっても、今その瞬間だけはそう感じていた。


「ここにいたのか。」


柔らかく暖かな空気に包まれながら、思わずうとうととしかけていた時、不意に頭上から声が降ってきた。
目を開けなくてもわかる、低めの澄んだ声の持ち主は、我に返ったリノアが姿勢を正すと同時に隣の空いたスペースへと腰掛ける。
微かに漂ってくる彼の香りが、しばらく触れていない懐かしさも相まってリノアの胸をきゅっと締め付けた。

「あれ、今お仕事中じゃないの?」

冷静を装って話しかけるが、内心は早鳴りしている鼓動を悟られてはいまいかと冷や冷やしていた。

「ようやく議題が一つまとまって休憩だ。ついさっきまで食堂で飯食ってた。」
「お疲れ様。ちゃんと食べる時間あった?」
「いつもみたいに、かき込むほど急いちゃいないさ。さすがにこの時間だと席もそんなに混まないしな。」
「え?・・・・・・あ、本当だ!」

スコールにそう言われて、リノアが中庭の時計に目をやると、確かに昼食休憩のピークはとうに過ぎていた。作業に集中しすぎて時間の感覚が鈍くなっていたらしい。
そんなリノアの様子を見て、やや疲れた表情を見せつつも微笑むスコール。そしていつもの彼らしくなく、突然リノアの肩に頭をあずけた。

「え。スコール、どうしたの?」
「・・・・・・疲れた。」
「そんな!お仕事しすぎじゃないの?大丈夫!?」

あまりない状況に、慌ててまくしたてるリノア。どうしよう、とおろおろするも、スコールの頭で肩を抑えられているため無闇に動けない。
多忙がたたって疲労が溜まってるんだったら、こんな所で座ってないで自分の部屋で寝るなりカドワキ先生に診てもらうなりすればいいのに・・・。
リノアの心の焦りを読み取ったかのように、肩に垂れた茶色の髪が小刻みに揺れる。どうやら笑いを噛み殺しているようだ。
それに気付くと、少しむくれて手でスコールの頭を軽く押しやった。からかわないでよ、と言う言葉の代わりに眉根を寄せてみせる。

「しばらくリノアに触れてなかったから・・・ついこうしたくなったんだ。悪い。」
「もう。心配したじゃない!」

悪びれずに笑みを浮かべているスコールを見て、仕方がないなあ、という風に一つ息をつく。
そして表紙の似顔絵が見えるような形で、冊子をスコールに差し出した。

「ちょうど良かった。シュウさんのね、寄せ書きをスコールにどうやって渡そうかなあ、って考えてたところなの。」
「シュウ先輩の?」
「そう。あれ?スコール、聞いてなかった?」

拍子抜けした言葉が返ってきたので、不安になってたずねるとややあってか思い出したようだ。

「ああ、そうか。皆が言ってたのを話半分に聞いてたから・・・・・・悪い。」
「そんなことだと思ってました。はい、後はスコールの分だけだからね。」

呆れながら言うと、リノアはスコールの手元に冊子をぽんと置いた。条件反射で、表紙を開こうとするスコール。

「わっ!ちょっと待って!今見ちゃダメ!」
「見るなって言われても・・・。どんなこと書いてるのか参考にするだけだろ?」
「ダメだったらダメ!」
「何でだよ。」
「・・・・・・恥ずかしいじゃない。」
「何が。」
「何がって・・・・・・特に、どうってわけじゃないけど・・・・・・。」
「じゃあいいだろ。」
「やだよ〜、せめてわたしが居ない所で見てよ〜。」
「どうしろって言うんだよ。俺の分書かないと渡せないんだろ?これ、このまま部屋に持って返ったらいつになるかわからないぞ?」
「う。それは困る・・・・・・。」

スコールの指摘は至極真っ当だと思ったリノアは、言葉を詰まらせる。しばし悩み、両手で拝むような形を作ってみせ
じゃあ、わたしのだけ見ないでね?と念押しして見せることに了解した。




木々のさえずりは、止むことなくベンチに座る二人の間を駆け抜けていく。それは本当に穏やかなひとときだった。

リノアが緊張して見守る中、スコールは報告書に目を通すような感じでぱらぱらとページをめくっていた。
その横顔は少し楽しそうだった。あの人物が、こんなことを書いているのかといった意外性が垣間見れて楽しいのだろう。
何人もの様々なメッセージが小さな紙に凝縮されていた。こんなことをしてもらえるシュウは、とても幸せ者だろうと思う。
それが目に見えないものだとしても同じだろうが、一人ひとりの個性が際立つ、想いの詰まった世界で一つだけの贈り物。



(もし、スコールがこのガーデンを離れる時が来たら、わたしは。みんなはどうするんだろう――――――?)

ほんのわずかな静寂の中、ふとスコールから目を逸らした瞬間、そんな考えがリノアの頭をよぎった。


スコールは一通り見終えると、自分もその場で作業を終えてしまおうとリノアに筆記具を要求するつもりで顔を上げた。
その時、黙りこくったリノアの表情が先ほどと少し違い、憂いを含んでいることに気付く。

「どうした?」
「・・・・・・あと何年か後には、スコールもここを出て行っちゃうんだよね?」
「・・・・・・」

リノアの質問の意図を汲んだのか、スコールは何も言葉を発しなかった。きっと言いにくいこともあるのだろう。
おおよその見当はついている。自分の身の処遇が全ての元凶だということも。
想像するだけで胸が締め付けられるような痛みが襲ってくる。それでも口に出さずにはいられない。

「その頃には、わたし、笑顔でスコールのこと送り出せるかなあ・・・・・・?」
「そんなこと、そのときになってみないとわからないだろう?」
「そんなこと、って・・・・・・!」

自分で切り出しておきながら、スコールのそっけない返事を聞いた瞬間鼻の奥にツンとしたものを感じた。そして鼻を大きくすする。思った以上に悟られる音だった。
・・・・・・やだな、こんなところで泣きたくなんかないのに。
そう思うリノアの頭をスコールが左腕で抱え込んでぐっと自分の方へと引き寄せた。レザージャケット越しでもスコールの温かさがじんわりと伝わってくる。

「俺なりにちゃんと考えはある。だから、心配するな。」
「心配だなんて・・・・・・スコールくらいに優秀な人なら、引く手あまたでしょう?」
「そういう意味じゃない。」
「・・・・・・?」

卒業後の進路のことじゃないのだろうか。頭を抱えられたまま眉根を寄せるリノア。スコールの表情は窺い知れない。
更にスコールの手に力が入るのを感じた。

「俺も、もう一人じゃない。みんながいて、支えられて、そうでないと生きていけないって気付いたんだ。だから・・・」
「だから?」
「リノア抜きでここを出ることは考えていない。今、言えるのはそれだけだ。」
「え?それって・・・・・・。」
「不確定なことは口にしたくないんだ、だからはっきりとは言えないが、今それに向かって俺も頑張っている。」
「スコール・・・・・・」

言い終えると、スコールはそっとリノアを解き放す。ばつが悪そうに逸らすスコールの顔が赤くなっていたのは、きっと春の陽気のせいではなかったのかもしれない。
少し嬉しいような、照れくさいような。後からじわじわと、心の中に幸福感が広がってゆく。

そんなことを考えてくれていたなんて、欠片も気付かなかったから、思わぬ本音が聞けたことに笑みがこぼれた。





きっかけはシュウのことだったが、今回のことがなければ、別れの季節なんて悲しいだけのことだと思っていた。
それは全く逆のことで、これから始まる新しい希望への第一歩なのだと思えれば、流れてゆく月日の感じ方も少しは変わってくるのかもしれない。

来るべき時を恐れるのではなく、喜びへと変えるのは他の誰でもない、自分自身の気の持ちようなのだと。


そして、その隣でスコールはただ一言、最後のページに書き加えた。


”皆いつでも傍にいる 一人じゃないことを忘れるな―――SQUALL”






Fin





(2013.03.31)
(2015.07.01 再掲)


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