青くて丸い、魅惑の珠。生きとし生けるもの全てを優しく包み込む、大きな珠。
命を育む広大な球体の上に足を付けている。立っている。紛れもなく、生きている。
母なる海は、慈しみをもって静かにそこにあった―――。



美化した俺のイメージを周りに言うな



白く引き締まった砂地に、同じく白い肌をさらした華奢な足が軽やかに跡をつける。

ひとつ、ふたつ、みっつ・・・。

次の瞬間にはその足跡はリズムに乗った波にかき消された。浮かんだ小さい白泡も、波が引くと同時に姿を消す。
間一髪、波しぶきを免れたその足で再び同一線上を歩き出す。

ひとつ、ふたつ、みっつ・・・。


目線は足元を見据える。けれども、視野に入る次波のうねり具合は先ほどと同じ大きさか、
もしくは少し強めのものだろうと予測は付いた。やってきた水の勢いから逃れようと
先回りして動いたつもりが、予想以上の速さと強さでやってきたため、脛半ばまで浸かってしまった。

波でもたらされた砂が、足の甲を覆ってゆく。緩く固定された両足はすぐには持ち上がらない。
水分を含んだ砂は予想以上に重かった。わずかに体のバランスが前方に崩れる。
そのまま今度は引き潮で体を持っていかれそうになった瞬間に上体を支えていたのは、
いつもリノアの全てを受け止めてくれているスコールその人だった。


「ありがとう、スコール。」
「もうちょっとで尻もちつくところだったな。」
「ひどーい。わたし、そんなにお尻重くないもんっ。」


リノアは、スコールに支えてもらった手はそのままに姿勢を戻すと、少し唇を尖らせて抗議する。見上げる標的は斜め上前方。
知らず知らず上目遣いになってしまったが、相手からすればそれは脅威でもなんでもない、ただの愛嬌だ。
睨まれた方も、思わず笑みがこぼれてしまう。


「悪かった。」

スコールは苦笑しながらも、細身の、しかし逞しい腕でしっかりとリノアを抱き寄せた。
先ほど跳ねた波で濡れたワンピースの裾が気になるのだろう、リノアは腕の中で少し身をよじる。

「ねえ。スコールも、服、濡れちゃうよ?」
「濡れたって構わない。せっかく海辺に来てるんだろ?」

リノアはそうだよね、と少しはにかんで、そのままの体勢に甘えさせてもらった。安心できる、嗅ぎ慣れた匂いが鼻腔をくすぐる。
あまり人目が付くところではこうしてスキンシップをしてくれることがない恋人に、いつもであれば多少の不満も抱くのに、
いざこうして抱きしめられると妙な照れ臭さがある。女心と言うものは、至って不思議なものだ。


「また波が来るぞ。もう少しあっちへ移動しよう。」

その言葉でお互いが離れると、二人の足元にまた小さな波が寄せた。規則的に二度、三度。
夏の終わりを感じさせる冷たさが足を伝う。



―――久しぶりの休暇で、二人で当てもなくやってきたバラムの浜辺は、シーズンも終わって人出も疎らだった。
特にこんな曇天模様の日は、誰も波打ち際には近寄らず、こうして二人で並んでいても注目されることはない。
スコールはそういう意味で天候がよくない、薄暗い海辺が気に入っていた。





打ち寄せる波から少し距離を取る。先ほどまで足をとられていた平らな砂粒を見たリノアは
何かを思いついたかのように、あ、と小さく声を上げると、すぐ側の枝を手に取った。
中々節のある、丈夫そうな枝だった。漂流していた割に朽ちている部分は少ない。

しっかりと両手で枝を持ち、その先端を砂に軽く突き刺した。ざりざりという音と共に、砂の上を滑る。
何を描くつもりなのか。スコールは腕を組んでその顛末を見守っていた。


水分を含んで重くなった砂のキャンバスに、リノアは一心不乱に線を走らせる。本人はスコールのつもりなのだろう。
額の傷がなければ誰だか判別が付かない。不器用ながらに顔らしきものが出来上がると、その隣にもう一つ、
同じ大きさの顔を描き始める。髪の毛の長さから想像するにこちらはリノアか。
一息ついて、二人の顔の間にハートマークを入れた、その顔が誇らしげに紅く染まっていた。


描き終えたリノアはちょこん、とスコールの横に座り込む。スコールは何も言わずに、ただその絵を見つめていた。

「どう?」
「いい出来だ。」

表面的な絵の良し悪しではない、今のリノアの幸福感をスコールも同じように感じ取っていた。

スコールも同じく砂浜に腰を下ろした。時折波風が二人の顔を、髪をさらってゆく。
まだ僅かに残る暑さも、夕刻が近づくにつれ幾分涼しさを増す。


描いた線画の端際に、波がじわりじわりと寄せてくる。後30分もすれば、すっかり波に洗われてしまうだろう。
その様子をただぼんやりと眺めていたリノアは少し惜しそうに呟いた。

「スコールは、もっともっとカッコイイんだけどなあ・・・。こんな風にしか描けなくて、ごめんね。」
「いや、これでいい。そんなに美化されるほどのものじゃない。」
「そんなことないよ!いつも・・・いつだって不安なんだから。
 こんなカッコイイ人がわたしなんかの隣に居てもいいのかなあ、って。いつも思っちゃう。」
「じゃあ、余計にそんなこと言われたら困る。俺は、リノアだけが知っている俺だ。そうだろ?」

そう言うと、おもむろにスコールはリノアの髪に手をかき入れ、自らの顔を近づけて強引に口元を塞ぐ。
リノアは突然の行為に驚くも、結局は柔らかな熱をもって流されて受け入れてしまう。本能が逆らうな、と指示を出しているかのように。


一瞬の永遠が過ぎ、ゆっくりとリノアを開放する。スコールの縛りから逃れると、その艶やかな唇から甘い吐息が漏れる。

「こんなところで、キスしたら・・・。」

見られちゃう、という次の言葉を再び飲み込むように、舌でリノアの唇を舐め上げる。
条件反射で瞑ったリノアの眼が再び開いた時、スコールは嬉しそうな、それでいて切ないような表情を浮かべていた。

「ダメか?」

潤んだ黒曜石の瞳は、ただただスコールの顔を映し出すばかり。たった今まで貪られていた唇の潤いは
恥じらいと欲情の入り混じった、スコールにとってはひどく刺激的なものだった。
それでもなおスコールは、腕の中の愛しさを逃がすまいとして再び頭を引き寄せリノアの耳元で低く囁く。

「俺だって男だ。抑えられない時もある。今もこうやってリノアを困らせている。そんな奴でもいいのか?」

密着しているスコールの体温が、服越しにひどく熱く感じられた。それはきっとリノアも同じくらい彼に浮かされているせいなのかもしれない。
とてもとても、大好きで。独り占めしたくて。自分には勿体無いと思えるほどの相手が、自分のことを好いていてくれて。
これほどの幸せを感じられることがあるのだろうか。早打ちの鼓動が際限なく続いていくように思われた。

「・・・そんな所も全て含めて、わたしから見たらカッコイイんだよ。」
「物好きだな、リノアは。」

参った、と言わんばかりに目を伏せてスコールは微笑む。愛しい彼女にしか見せない自然な笑顔。


にわかに遠くで雷の音が聞こえた。薄ら雲が広がっていた景色は、見る見るうちに暗さを増してゆく。
今日もきっと、通り雨がやってくるだろう。”スコール”の名のごとく、情熱的でありながらも大地を潤す恵みの源。

我に帰ったリノアは、スコールの上着の袖を軽く引っ張る。

「そろそろ帰らないと。」
「ああ、続きは後でな。」
「スコールってば・・・えっちぃ。」


二人で顔を見合わせて笑った。立ち上がりながら、お互い衣服に付いた砂を手で払う。
砂浜に放り出していた二人分の靴を屈んで拾い上げると、先ほどよりも体をさらう風は強く感じられた。
リノアは乱れた襟元を少し正すと、スコールの腕を取る。潮の香りに混じって、彼女の体から甘い色香が漂った。


水平線を見渡すと、陽光は遮られているはずなのにちらちらと白い細波模様が目に付いた。
どこまでも、どこまでも続く蒼い水面。暗くて冷たい海の底を感じさせないほど、先ほどのうねりが嘘のようにその表面は穏やかで。
この大きな珠の上に二人だけで居るようなそんな感覚。それでももう抑えられない歓喜の感情を知ってしまったから。

―――今、この瞬間を、大切にしよう。そう思いながら手を取り合って、真っ白い砂の上を歩き、家路を急ぐ。




彼の短い休暇の終わりがすぐそこまで迫っていた。




Fin

(2012.09.14)




novel indexへ
Creep TOPへ




inserted by FC2 system