Melty Kiss(後編)







――――甘い…………。




スコールは、ゆっくりと重たい瞼を開いてゆく。

エアコンを消し忘れていたのか、部屋の中は若干暑く、
それと同時に、ひどい喉の渇きを覚えた。



リモコンで電源を切り、ベッドサイドに置いてあったペットボトルに手を伸ばす。
だが目測を誤り、掴むはずであった透明の容器は一瞬にして床に落ちていった。
蓋は閉じていたので中身がこぼれる事はなかったが、それを拾う動作が大儀なほどだった。


仕方なく体を起こそうと少し体をひねると、綿シャツが肌に張り付く不快感。
いつの間にか相当量の汗をかいていたらしい。
それ以前に、いつも任務で来ていたレザージャケットを脱ぐことなく
ベッドに倒れこむようにして意識がなくなっていったのを思い出す。


リモコンの室温計を見ると、そこに見える表示は24度。
どうりで暑く感じるはずだ。それでなくとも今日はいつにも増して暖かい日だというのに。
なのに、スコールの体は肌で感じる熱よりも体の内側からくる寒さの方が勝っていた。

首を僅かによじると、壁にかかったカレンダーが見えた。
2月14日の日付に、薄いピンクの丸囲みがある。リノアがつけたものだ。
しかし、彼の記憶をどうフル回転させても、その日が何の日だったかは思い出せない。

(なぜあの日に丸……?自分たちが出会った日は確かSeeD認定の11日だったはず……。)

記念日には疎いスコールだが、何故かしっかりと出会いの日は頭に刻み込まれていた。
おぼろげな思考も、またもやがかかったように霞んでゆく。

その途端、微かに部屋の外から靴音が駆けてくるのが聞こえた。



「……スコールっっ!!」


勢いよく部屋の扉が開き、リノアが飛び込んできた。
肩で息をして呼吸を整えている。どれだけ急いでこの部屋に向かってやってきたかが一目瞭然だ。

「リノア……。」

乱れる呼吸をそのままに、ベッドに力なさげに横たわっているスコールに近づいてゆく。

「大丈夫!?さっき帰ってきてキスティスに聞いたの。ごめんね、出かけちゃってて……。」

リノアの顔を見て心もち体が軽くなったような気がしたスコールは、軽く微笑んでみせる。
「いや、大した事ない、平気だ。」
「……だってすごい汗じゃない!」
「汗かいたから熱引いたと思う。シャワー……浴びたい。」

火照った体は全身の筋肉が弛緩している様にだるかった。
かいた汗は確かに表面から熱を奪い取っているかのように思えたが、まだまだ熱は下がる様子はなさそうだ。
スコールはリノアの前では強がった態度をとったものの、自分の体は自分が一番よくわかっていた。

それでも何とか寝返りを打ち、両手で上体を起こす。
その様子を見たリノアが素早く手を貸し、ベッドの縁に座らせる。
ゆっくりとジャケットを脱がせ、クローゼットから着替えを取り出した。


「スコール?ちゃんと水分取った?」
振り向かずに問いかける口調は、まるで母親が子供に向けるそれにも似ていて、スコールは思わず苦笑いする。
「……ああ。」
「じゃあ、シャワー浴びてさっぱりして、また寝よう?歩ける?」
「大丈夫だ。」


いつもなら、そういう強がりを言いながら弱みを見せる事を極端に嫌がるスコールだったが、
この時ばかりは立ち上がる際にリノアが肩を貸そうとしても拒否はしなかった。
リノアの体に重みが加わる。かなり体力を奪われているらしく、歩くのでさえ辛そうだ。
お互いの体温が交差するようだった。


シャワールームに入り、ひんやりとしたコックをひねる。
勢いよく熱い湯が頭上から降りそそぐと、少し頭がすっきりした。
バスタブに湯を張ってゆっくりと浸かりたかったが、ロクに水分をとっていない状態で
湯船に入ると脱水症状になりかねない。
素早く汗だけを流して、また夜具に入ったほうが体力回復も早いだろうと、スコールは判断した。


その一方、リノアはベッド脇でシーツの交換をしていた。
ある程度服が汗を吸っていたとはいえ、湿ったシーツでもう一度寝るのは誰だって気持ちがいいものではない。
着替えとバスタオルは脱衣所のかごの中に入れてきた。
後は脱ぎ捨ててあるジャケットをハンガーにかけ、残りの衣服を拾い上げて洗濯籠に放り込む。






「――――どう?スッキリした?」

部屋着に着替えて、タオルで頭を拭きながらベッド脇に戻ると、いつものようにリノアが笑顔で座っていた。

「ああ。これでまた眠れる……。」
「まったく。無茶しちゃ駄目だよ?ほら、ここ座って。」

リノアはそう言いながら、ポンポンと、自分の右隣のスペースを叩く。スコールはそれに従った。
いつも通り明るく振舞ってはいるものの、心のうちに潜む不安は隠しきれていないようだ。
今にも泣き出しそうな、涙を精一杯我慢している、潤んだ瞳。
泣かせるつもりはなかったにしても、結果的には泣かせてしまうかもしれない…………。
スコールは己の体調管理の不甲斐なさに、半ば頭を垂れていた。


「はい。ちゃんと布団直しておいたから。ゆっくり寝てよ?」


リノアは立ち上がると、スコールの肩を優しく押して寝る体勢に促した。
されるがままに夜具に体をすべらせる。

「ん。いい子、いい子〜。」
「俺、ガキじゃないぞ…………。」
「わかってるよ?でも、今は大人しくしておくこと〜!」

リノアはそう言いながらスコールの額に手を当てて、反対の手で自分の熱を確認する。

「やっぱり、まだ熱いね。ちょっと待ってて、風邪に効く薬と、飲み物をもらってきたから。」

準備するリノアの後姿を見ていると、スコールは先ほどまでの記憶がうっすらと蘇ってきた。




――――任務から帰還直前のラグナロク内。そこでスコールは自身の体の異変に気づいた。
朦朧とする意識と、幾度となく経験した悪寒にも似た寒さ。体の節々が痛み、息をするのも辛い。

幸いにも、この後には二日のオフをもらっていたので、その間はゆっくりとリノアと過ごそうと思っていたのに。
せっかくのオフも、倒れてしまっては台無しになる可能性が高い。
前々からリノアが楽しみにしていた休みだ。色々計画を立てていたに違いないであろう、
その期待を裏切る事の方が、スコールにとっては辛かった。

(まずいな………。)

意思とは裏腹に、ぐんぐん上昇していく体温。流感でなければいいが、と思っていた。

ガーデンに帰還後、学園長への報告は同行のSeeDが行う事になり、スコールはすぐさま保健室へ連れて行かれた。
カドワキが診察をする。

「……診たところ、ただの風邪じゃないかね。特に嘔吐や下痢の症状はないかい?」
「ありません。」
「とりあえず、抗生物質と、胃薬と、風邪薬…くらいだね、出せるのは。ああ、後、頓服で解熱剤も出しておくよ。食欲はあるかい?」
「あまり……。」

本音を言うと、何も食べたいとは思わなかった。だからこそ、余計な事を言って、また重病人扱いされても適わない。
ただの風邪なら単なる体力不足で説明がつく。早く部屋に帰って横になりたい、スコールはそれしか考えられなかった。
カドワキがカルテに書き込みをしながら、スコールをちらっと見上げる。

「……リノアは?」
「今日はセルフィと、バラムに出かけているらしいです。」
「そうかい。アンタが一緒じゃないなんて珍しいねぇ。」
カドワキは作業を続けながら軽く声を上げて笑う。スコールは眉間に皺を寄せる。

「……別に、いつも一緒にいるなんてこともないです。」
「ま、そんなに強がらないことだよ。アンタにはあの子がいることが一番の特効薬なんだ。一応、薬は出しとくけどね。」

弱ったスコールの背中を叩くと、少しばかりよろめいた。当たらずとも遠からず、か。

「もうすぐリノア、帰ってくるんだろ?その頃には薬できてると思うから、あの子に持たせるよ。
早く部屋に帰ってゆっくりしておくんだね。」

スコールは小さく頷いて礼を言い、ふらつく足取りで保健室を後にした。



――――スコールが部屋に戻った直後に、バラムからの”戦利品”を手に帰還したリノアとセルフィ。
キスティスから事の次第を聞かされたリノアは、慌ててスコールの部屋に駆け出そうとした。

「待って、リノア。カドワキ先生からスコールの薬を預かっているの。これ、持っていってくれない?」

そう言うと、白い小さな紙袋を手渡す。

「ありがとう、キスティス。」
「中に、風邪に効くドリンクの作り方も載っているわ。作って飲ませてあげたら?」
不器用の塊であるリノアにとって、無事に出来るかどうか一抹の不安もあったが、
友人からのありがたいアドバイスとして受け取っておく事にした。





部屋の中に、微かにハーブの香りが漂う。スコールはぼんやりと天井からの視線を左側に移す。
リノアがトレイに白いカップを乗せてこちらに運んでくるのが見えた。
どうやら、リノアがレシピを元に作った”特効ドリンク”のようだ。

「お待たせ、スコール。これ飲んで、元気になってね?」
「……リノアが作ったのか?」

うん!と満面の笑みを浮かべて頷くリノア。その笑顔を護っていくために騎士になったのに、
その自分が倒れて看病されているなんて、こんな情けない話はない。
それでも努めて、そういった感情は出さずにおどけて答えてみせる。

「ちゃんと飲めるのか?それ。」
「ひっどーい!多分、大丈夫……な、はず。」

弱弱しく否定するリノアに、思わずふき出すスコール。
ひとしきり汗をかいて、水分も摂った事もあり、ガーデンに帰還した直後に比べれば幾分気分も楽になっていた。
持ってきたティーをありがたく頂戴する。微かにジンジャーの風味がした。胃の中に暖かさが広がってゆく。
一息ついて、リノアもベッド脇に腰を下ろす形をとる。

「悪いな、せっかくのオフも、ひょっとしたらどこにも連れて行けそうにない……。」
「ううん、いいよ。スコールが元気じゃなきゃ、どこへ行っても楽しくないもん。」

そう言いながら、リノアは右手でスコールの頭を優しく撫でる。
その仕草が、優しいのか、誘っているのか、その境界がわからなくなる時が時々あった。
熱のせいで暑いのか、それともリノアが傍にいるからなのか。



突然、リノアが手の動きを止めて、スコールに顔を近づける。
鼓動が早くなっていた矢先の出来事だっただけに、不意打ちをくらった気分だった。
唇には、たった今与えられた、柔らかな感触の余韻だけが残る。


「風邪、うつるぞ……。」
「うつっても、いいよ。」
「……よくない。」


どうする事もできない体の疼きを感じ始めたとき、ふいに離れたリノアからの甘い香りに気づいた。

「……甘い?」
「あ!そうだった!」

リノアはスコールの一言に、何かを思い出したかのようにベッドから立ち上がる。

「チョコ買ってきたの!」
「チョコ?」
「だって、もうすぐバレンタインでしょ?スコールにあげようと思って。セルフィについてきてもらったんだ〜。」
「その、香りだったのか…………。」

と同時に、カレンダーに付いていた丸の意味を理解した。
2月14日はバレンタインデー。女性が思いをこめて男性にチョコレートを渡す日。
いつからそんな取り決めになったのかは、スコールの知るところではないが、
世間のカップルたちは、どっぷりとその商業戦略に嵌っているようで。

そんなスコールの思惑とは裏腹に、リノアはオレンジ色の紙袋から、綺麗にラッピングが施された小箱を取り出す。

「スコール、どうせ食事何も摂ってないんでしょう?お薬飲まないといけないのに、
何にも食べてないのは胃によくないよ。だから、こんなので申し訳ないけど、食べてからお薬飲んで?」

ゆっくりと、丁寧に包装紙を解いてゆく。本来なら、当日に渡したかったに違いない。
それを、こんな形で開けさせてしまうなんて。そう思いながらスコールは上体を起こした。

「はい、どうぞ。小さいから甘いもの苦手なスコールでもすぐ食べられると思うんだ。」

目の前に差し出された丸い小さなチョコレート。僅かに金箔が施されており、見た目からして高級なものだとわかる。
しかし、それと同時に甘さとは違う何かを、スコールは感じ取った。

「……これ、洋酒か何か入っていないか?」
「ピンポーン!!さっすがスコール!そうなの、洋酒入りだからスコールでも食べられるかな……って。」

嬉しそうなリノアを尻目に、スコールはため息をつく。

「あのな、リノア……。薬飲む前にアルコールは、駄目だろう。」
「あ!」

思わず口を手で押さえるリノア。天然なのか、意図的なのかたまによくわからなくなる時がある。
そんな彼女がとても愛おしく思えてきて。

「いい、薬はまた次で飲む。」
「でっ、でもっ!ごめんね!気づかなくて……。」
「だから、リノアが買ってきてくれたチョコが食いたい。」

そう言って、一つ箱から摘まむと、口の中に放りいれる。
口内でゆっくりと溶けていくチョコの甘み、そしてほどなくしてブランデーのアルコールがしみわたってゆく。
甘いものはあまり好きじゃなかった……、けれど、リノアからの”甘さ”に酔いしれる事は度々ある。
今も、スコールはもう一つの”甘み”を欲していた。


「どう?おいしい?」

リノアはおずおずと、顔を覗きこんで来る。
口の中のチョコを完全に溶かしきる前に、今度はスコールがリノアの腕を掴み引き寄せた。

「…………試してみるか?」
「え?」


驚いたリノアに、唇を重ね、舌を絡ませる。互いの中が甘く溶け合っていく。
スコールも、リノアも、もう何も考える事はなかった。

僅かに離れたその瞬間に、リノアは上気した顔をしてつぶやく。
「思い出した…。そのチョコの名前、”Melty Kiss”って書いてあったよ。」
「そうか・・・。どうりで。」
再び二人は甘い誘惑に溺れてゆく。

そう、それはまるで――――とろけるようなくちづけ。






Fin




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