何で俺にだけ内緒なんだよ







下地を整えるためには、まずクレンジングから―――。
簡易スチーム機から細かな蒸気が顔に当てられ、毛穴を柔らかくすることから始まる。
コットンにクリームを含ませ、すべらかに、かつ的確に顔表面の汚れを落としていく。
拭き取りが終わると、速やかに冷やしたコットンを顔に乗せ、毛穴を引き締める。
掌に化粧水を垂らし、軽く両手を合わせてなじませ温めた後
額や頬といった面積の広いところから軽く叩き込むようになじませていく。
そして湿気がまだ肌に残るうちに、顔の筋肉の流れに沿って指先でマッサージを施す。
こうすることで、凝り固まった顔の筋肉をほぐし、血流がよくなるので最終的にはメイクのノリや表情が大きく変わってくるという。





「キスティスって、何でもこなすよねぇ〜。すっごく器用!」
キスティスの指先が、滑らかに顔表面をマッサージしていく様を見て、
すぐ近くのパイプ椅子に腰掛けていたセルフィが言葉を発した。
それはそれは物珍しいものを見るかのように、目をキラキラ輝かせて。
「あら、そうでもないわよ。私、メイクには本当に無頓着なんだから。」
「えっ、そうなの?とっても慣れてるように見えたんだけどなー。」
少なくとも今はね、とキスティスは笑いながら手先の動きを休めることなく続ける。
「今回はシュウにつきっきりでレッスンを受けたのよ。
ああ見えて彼女、コスメの最新情報にはすごくうるさいんだから。」
「え〜!?そうなんだ、初耳!今度ガーデン誌用にインタビューしなくちゃ!」
俄然やる気が出てきたのか、セルフィの頭の中では猛烈な勢いで質問が湧き出てきているらしい。



ガーデンのお祭り騒ぎ担当と、既に誰からも違和感なく位置づけられた広報担当のセルフィにかかれば、
シュウやその他のSeeDくらいならいくらでも快く応じてくれるだろう。
…この広いガーデンに属する人間の中で、彼女の攻撃(?)をかわせるのは
唯一、SeeD司令官であるスコールしかいないのは周知の事実である。
それでもめげずに猛アタックを仕掛けていくセルフィの心意気には正直、感服せざるを得ないと
キスティスは思いつつも、乳液、美容液と順序を踏んで作業を淡々とこなす。






「それでもすっごく肌のキメ細かくない?羨ましいんだけど〜!」
丁寧に手元の肌に紫外線カット配合のクリームを馴染ませながら、キスティスは話に付き合う。
「そんなことないわ。セルフィだって、トラビア出身だからすごく肌綺麗じゃない。やっぱり一つの歳の差は大きいわよね…。」
「一つ差、って…うちらまだ10代じゃん〜!そんなに変わらないよ?」



ため息を一つつきながらキスティスは首を振る。
「やっぱり、早くからSeeDや教官なんて地位に着くと気苦労が絶えないのよ…。
現に昼も夜もなく、過酷な条件の中で任務をこなすわけでしょ。
肌の事なんか、構ってられないわ…。誰かさんみたく、眉間に皺が寄る事も多いしね。
セルフィだってSeeDになってみて実感すること、ない?」
「確かに!」
”誰かさん”と聞いてプッとセルフィはふき出す。




「だからね、表情筋はこうしてちゃんとほぐさないとどんどん険しい顔になっていくし…。
ただでさえSeeDって表情に出してはいけない事とかも多いしね。
たまにはこういうのもいいんじゃないかしら?…っと、目の下のクマも結構酷いわね。」
コンシーラーをやや厚めに塗りながら、いよいよファンデーションをのせていく。
多少の粗はあるものの、基本的にシミやホクロなどないその肌に、クマ以外の補正を施すところがなく、
傍から見ていてため息が出そうなほどうっとりと見つめていたセルフィ。
ずっと言うタイミングを逃していたかのように、突然違う話を切り出す。
「そういえば、リノアは今、どこ?」
少しその場の空気が変わった…気がした。



「…リノアなら例のリハ中よ。何だか今回すごく張り切ってるみたいね。」
口元に意味深な笑みを浮かべつつ、パフでファンデの仕上げを施し、
大き目のフェイスブラシを使ってハイライトを入れていく。
目鼻立ちの整った顔が、より一層凹凸が際立ち、部屋の明かりでさえもその端正さが浮き彫りになるようだった。
「そっかぁ、言ってる内に本番だもんね〜。あたしも何だかドキドキしてきたよぉ〜〜!」
「セルフィが一番悪ノリしてるわよね、後でどうなっても知らないから。」
「あ〜、キスティずるい!あたしだけ悪者みたいじゃない〜〜!そういう意味ではみんな共犯だよ!」
クスクスとこらえきれない笑いを噛み締めながら、キスティスの手元は佳境に差し掛かっていた。





元々形の良かった眉毛を少しカットして整えた後に、アイブローペンシルでラインを描く。
ラインはきつい印象を与えないように、目尻の延長上に自然に伸びるように…。そしてブラシで眉頭を整える。
アイクリームを瞼に広げ、アイシャドウの下地を作りブラシで乳白色のベースを乗せていく。
更に細めのシャドウブラシに持ち替え、パープル、ブラウン…とカラーを少しずつグラデーションになるように重ね
指の腹を使って軽くぼかすように馴染ませる。
忘れないように眉尻にもハイライトを入れておく。
アイラインは太すぎず細すぎず。慎重に一本一本睫毛の間に入れ込むように描く。
リキッドタイプの方がさっと書けて後で落としやすいのがいいのだが、
敢えてペンシルタイプを使用することで、細部にまで綺麗に色が入って目元が見違えるほど
くっきりと見えるようになるんだ、とシュウは言っていた。
キスティスは頭の中でその台詞をはっきりと思い出しながら、その通りに手順を踏んでいる。
少し温めておいたビューラーで長い睫毛を挟み込み、根元から3回に分けてしっかりとカールさせる。
マスカラをつける前に、その睫毛を痛めないように、更にノリが良くなるように下地を付ける。
元々がボリュームもあり整っているため、今回は繊維入りのもので厚みを持たせるのではなく、
あくまで地の良さを引き出すようにと、長さを見せるタイプのマスカラを用意していた。



一番集中すべき箇所を終えた所で、キスティスの顔から緊張感が解けた。
心なしか、小さくため息をついたようにも見える。
その瞬間をセルフィが見逃すはずもなく、またしても間髪おかずに話しかけてくる。
「リノアもそれだけしっかり念入りにメイクされてるの見たら、きっと驚くと思うよ?」
「そうかしら。まぁ、今回はこの化粧がメインではないからそこまで思わないんじゃない?」
チークブラシをそっと、円を描きながら頬の中心に滑らせて徐々に色を乗せていく。
「いやぁ〜、中々SeeDのバッチリメイク姿なんてお目にかかれませんよ!何てったって、今回はト・ク・ベ・ツ!!」
セルフィの頬が興奮のあまりどんどん赤みを帯びていく。
このままいくと、今にもこの控え室を飛び出してガーデンスクウェアのサーバーにアクセスせんとする勢いだ。
そろそろタイムリミットかしら…とキスティスは思いつつ、最後の仕上げである口元にとりかかる。
薄すぎず、厚すぎず…。少量にして十分に重量感の出るラメ入りのグロスを塗り、
最終の一筆を終えながら、キスティスは軽く浮き出た額の汗をぬぐう。



「…やっと終了。思ったより時間かかっちゃった。間に合うかしら?」
「だーいじょうぶっ!!さっすがキスティス!もう最高の出来じゃん!あ〜、早くリノアに見せたいねぇ〜♪」
その瞬間、控え室のドアがけたたましく開け放たれ、ゼルとアーヴァインが勢い良く入ってきた。






「いよぉ、スコール!!準備はどうだっ!?」「最高の気分だろ〜〜??」






キスティスの目の前の台に横たわっていた、伝説のSeeDとも噂される若き獅子は、ゆっくりと起き上がり
二人に対しギロリと鋭い視線を向ける。眉間には今世紀最大と思われる程の深い深い縦皺が刻まれて…。
「………おかげさまで、最悪な気分だ。」
「あ………」「そ、そう………?」
二人はその場の凍りついた雰囲気に思わず直立不動のポーズを取ってしまった。



「とか何とか言いつつ、メイク中はずっと大人しかったじゃない。」
キスティスは水で濡らしたタオルで手を拭き、笑いを堪えながらメイク道具を片付け始めていた。
スコールはため息をつきながら反論する。
「……あんた、有無も言わさずストップ唱えたじゃないか…。しかもかなり強力なのを。
これだけ時間かけて体の自由を奪われるとは思わなかった…。」
額に手をやりながら頭を振る仕草。いつものスコールの癖だ。



それでも容赦なくアーヴァインが間に割って話を進める。
「はいはーい、準備が整い次第すぐに講堂に集合だよ〜?リノアも待ってることだし、早く行ってあげなよ〜!」
「お、おう、そうだぜ!俺たちそれの連絡に来たんだからな!」
ゼルは目の前の戦友の変わり果てた容姿を見て、笑いを堪えるのに必死になっていた。
それを見たスコールの心の中は想像に難くない。





      *      *      *      





そもそも、事の発端は数日前のリノアの一言から始まった。



「舞台?」
「そう。今度の学園祭でね、演劇に出てくれないかって頼まれちゃって…。」
「そうか。脇役か?」
「あっ、ひどーい!ちゃんとした役です!…って一応主役なんだけど…。」
「主役?リノアが?」
かなり驚きの様子を隠せないスコールは、思わず手元にあった書類から目をそらし
リノアの顔をまじまじと見つめた。
「あ、スコール今、無理って思ったでしょ?」
「そんなこと思ってるように見えるか?」
「見える。顔に出てるもん。」
スコールは悪い悪い、と少し表情を緩め、リノアの頭をぽんぽんと叩いた。
「と言ってもさー、完全に主役ってわけでもなくて…。」
「どういうことだ?」



リノアの話によると、その舞台では「眠れる森の美女」というのを演るらしい。
ただ、違うのは主役の王子役を女子が、眠る姫役を男子が演じるという少し趣向を凝らしたもの。
物語の最後に、眠っている「姫」に「王子」がキスをすると、
その「姫」は眠りから覚めて、二人は結ばれてハッピーエンド…という事らしいのだが。



「主役の演劇部の子がね、どうやら腰を痛めてしまったらしくて前屈みになれないんだって。
他のシーンは何とかこなせるみたいなんだけど…最後のお姫様役にキスをするシーンは
どうしても前屈みにならないと出来ないから、そこの前後だけ代役してもらえないか、って事なの。」
「代役?」
スコールは嫌な予感がしたのか、一気に不機嫌モードに突入した。
「そう、だからちゃんと台詞言えるかどうか心配で!」
「……というか、姫役は男子がやるって言ってたよな?そいつとキス…するのか?」
「んんん〜〜?ひょっとしてスコールくん、妬いてる〜〜?」
ちょっとした言葉の隙に、リノアはすかさず突っ込んでくる。
わかってて言ってるな…とスコールは思いつつも、いつものポーカーフェイスを崩さずに呟く。
「別に…。」
「なんだ、つまんないのー。」
「で?どうなんだ?」
くすくすとリノアは笑いながら答える。スコールの内心はお見通しだと言わんばかりに。
「遠目からは見えないからキスシーンだけは寸止め。フリをするだけだよ。
ちゃんと台本にも書いてあるしね。だからそこは安心してね、スコール?」
「そのお姫様役は誰なのか決まってるのか?」
あからさまに嫉妬心丸出しになっても、リノアと他の男子とのキス(もどき)は何としても阻止せねばならない、
そんな闘争心が垣間見える台詞に対し、リノアは歯切れが悪そうに答える。
「ん〜〜…それがね、誰か教えてくれないんだよ。
演劇部の部長もそうだし、他の部員の子に聞いても”まだ決まってないみたいよ”ってはぐらかされるし。
まぁ、寝てるだけだしそこまで演劇に精通してなくても誰でも務まるからね……。」
「演劇部の奴じゃないのか?」
リノアの説明に疑問を持ったのか、スコールは質問を畳み掛けてくる。
「うん。演劇部は男子はいないみたい。だから、今回は特別に代役を立てるんだって。」
スコールは深くため息をつきながら椅子に座り直す。
(これは相手役が誰か突き止めておかないとな………)
これが意外と困難な作業だった。



とりあえず本番まで時間がないので、その相手役についてしらみつぶしに聞きまわってみるものの、
誰一人として「知らぬ存ぜぬ」状態。
頼みの綱である情報通のセルフィや、司令官補佐の仕事まで難なくやってのけるキスティス、
女生徒の噂話なら何でもござれのアーヴァインまでもが、揃いも揃って「知らない」と言う。
スコールは、ここまで皆が知らないのが逆に不自然に思えてきて、
本当は皆知っていて、自分にだけ都合が悪いため知らされていないのではないかと疑うようになっていた。
そんな気持ちを知ってか知らずか、リノアは着々と本番に向けて舞台練習をこなしていた…。
そして当日になり、スコールは意外な事実を知らされることになる。





      *      *      *      






皆に囲まれて騒いでいる控え室へ、待ちきれなかったのか着替えを済ませたリノアがやってきた。
「うわぁ、スコール!?すっごい綺麗〜〜〜!!!」
その言葉に、セルフィが堰を切ったように話し出す。
「でしょ〜?キスティスのメイクの腕がすごくってー!あたし隣で見ててドキドキしたもん。」
「あら、元々誰かさんの”素質”が良かったのよ。ノリが良くて助かったわ。」
「とにかく、眠り姫役がスコールだって聞いた瞬間は焦ったけどな。それもアリか!って思っちまったよ。」
「そうそう、何てったって、リノア王子様のキスを受けるお姫様役なんて、今回は一人だけしかいないっしょ〜?」
口々にはやし立てるメンバーに、盛大に大きなため息を吐き出しつつ、スコールはリノアの腕を取り控え室のドアに向かう。
「あれ〜?スコール、どこ行くのさ〜?」
アーヴァインがすかさずひき止めようとするが、お構いなしと言った様相で
「………もうすぐ本番なんだろ?打ち合わせしておかないとな。」
「あ、そう………。」
あっけに取られていた皆を残しつつ、スコールとリノアは控え室を後にした。




講堂に向かう廊下を、ずんずんと突き進む”お姫様姿”のスコールと”王子姿”のリノア。
傍から見れば非常に奇妙な組み合わせであったのだが、今回の演劇の趣旨はガーデン生徒にとっては周知の事実だったので
特に違和感は感じられなかったようだ。
ただ、それがSeeD司令官であるスコールだということは、キスティスの並外れたメイク力により気づかれることはなかった。
「痛い、ちょっと〜、もうちょっとゆっくり、優しく歩いてよ〜!」
「…全く。何で俺にだけ内緒にしてたんだよ。」
スコールは明らかに不機嫌だ。それに気づいていても、美麗な横顔に見とれてしまう。
「だってー、スコールに言ったらぜっっったい嫌がられるから、当日まで秘密!って皆が…。」
「あいつら………。」
「黙ってたことは謝るよ、ごめんね?でも、やっぱりちょっとだけでもいいから、スコールとお芝居できたら楽しいかな〜って…。」
リノアの目が徐々に潤み始めている。まずい。この瞳で、見上げられると弱いんだ。
「わかった、どうせ寝てるだけなんだろ?」
「うん、だから多分スコールだってわからない子もいるかもよ?」
「そうか…。」
何か吹っ切れたかのように、不敵な笑みを浮かべるスコール。
「それなら、ちょっとリハーサルしておいた方がいいかもな。」



いつの間にかたどり着いていた講堂の舞台袖で、スコールは人目を盗んで誰もいないスペースを見つけ、そこにリノアを隠すように身を滑らせる。
そのままスコールはリノアを抱きしめ、至近距離まで顔を近づける。
照明が届かないとはいえ、お互いの表情はしっかりとわかる明るさだ。
リノアが一気に顔を赤らめていくのがわかる。
「えっ?ちょっ、ス、スコール、何を…!?」
「キスは”フリだけ”なんだろ?キスしてるように見せるのは意外と難しいぞ?」
「えっ?えっ?だからって、今ここで…?」
「練習、しておかないとな。」
慌てふためくリノアを見てくつくつと笑いながら、スコールはこの状況を楽しんでいた。
(これくらいの楽しみがないと、何のためにあんな時間を耐えたのか…)








―――――本番は大盛況のうちに幕を閉じた。
一番の見せ所であるキスシーンでは、事前にセルフィがこっそり仕掛けておいた超小型ビデオカメラにより
二人の濃厚な口付けの瞬間がしっかりと録画され、瞬時にガーデンスクウェアに掲載されていたことは
バラムガーデンの中で記憶に残る歴史となった………。









Fin




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